うたかたの

よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

美しさの余韻

天使を見た。先日、生放送の地上波音楽番組で。

わたしの見間違いじゃなければ、あの日画面に映ったのは間違いなく天使だった。天使なんて見たこともないはずなのに、それが本物だということは割とすんなり理解した。不思議だけど、それもそのはず。だってその天使はすべてがあまりに完璧すぎた。淡く輝く金髪に透き通るような白い肌。見上げる視線の先には拳ほどの小さな顔があり、長いまつ毛に縁取られた澄んだ瞳とよく通った鼻筋が整然と配置されている。品よく上がった口角は魅惑的な笑みを湛え、長い手足を巧みにしなやかに操りながら、画面の中の天使は歌い、踊っていた。その美しさに目を奪われ、思わずため息が出る。彼がフォーカスされていない場面、たとえばそれが画面の端っこであっても、誰かの後ろで見切れていたとしても関係なかった。どうしたってその姿を目で追ってしまうのは、多分彼が天使だから。天使から目が離せないのは必然で、それ以外に理由はないし、そもそも理由なんて必要ですらない。まったく、本当にやってられない。神様のえこひいきには心底うんざりしてしまう。だけどそれ以上に、神様のセンスは流石。美しさに目が喜ぶという感覚をあの日わたしは初めて知った。

天使の名前は知っていた。もちろん彼が天使と呼ばれていることも。知ってはいたけど、彼に見惚れたのは正直あの日が初めてだった。以前も同じ髪色だったのを見たことだってもちろんある。それなのに、今まで一体わたしは何を見ていたのだろう?彼の美しさは鮮烈だった。その残像が今も脳裏にこびりつき、うまく剥がすことができずにいる。

要するに「CDTVライブ!ライブ!での金髪ラウール君がとてもじゃないが美しすぎた」という、ただそれだけの話である。とにかく美しさの余韻がすごくて、その名残がえぐい。自分の中でも既に旬を逃してしまった感があるのだけれども、旬を過ぎた自覚があってもどうしても言いたかった。それくらい「ラウール=天使」を体感した衝撃がとにかく凄まじかったのだ。今更だということは重々承知の上だし、自分の目の節穴具合に反省も禁じ得ない。けれども、事実そうなのだから仕方がない。いろいろと甘く見ていてごめんなさい。何より眼福、ありがとう。