うたかたの

よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

カワイイッテコワイ

”『可愛い』は最強なんです。

『かっこいい』の場合かっこ悪いところを見ると幻滅するかもしれない。

でも『可愛い』の場合は何をしても可愛い、『可愛い』の前では服従、全面降伏なんです!”

 

数年前お茶の間を席巻した某ムズキュンドラマで首がもげる程に頷き倒したこのセリフが今、わたしの脳内でこだましている。…ひーくんの笑顔と共に。

どうしよう、ひーくんがかわいい。とても、いや、とてつもなくかわいい。

いかつい顔した筋肉マンなその人は時折ふにゃっと相好を崩す。こっくりとしたはちみつみたいな、ひときわ甘いその笑みに目を奪われたその日から彼がかわいく見えて仕方がない。

その笑顔を見る度に消化しきれないかわいさを崖から叫びたい衝動に駆られてしまう。実際のところ叫べる崖なんて近所にあろうはずもなく、心の中で叫ぶに留めてはいるけれど。それにしたって、あの笑顔は反則だ。ギャップの高低差が半端ない。『かわいい』以外に選択肢がないなんて、ずる過ぎるにも程がある。一体どういうつもりだひーくん!もう少し手加減してくれてもいいのでは?いくら何でもギャップのえぐみが強過ぎる。せいぜい顔を出したばかりのふきのとう程度に抑えてくれ。

そもそも、わたしは基本的に『かわいい』から距離を置きたい人間だ。できるだけ『かわいい』からは離れていたい。常々そう考えている。それが実効性を伴うかはさておき、いつも心には『かわいい』へ引っ張られない強さを持っていたい。そんな信念を胸に生きてきた。

だって『かわいい』は危険だから。『かわいい』の前で人は無力になってしまう。語彙力はおろか理性さえも奪われる。だから、安易に『かわいい』に近づいてはいけない。君子危うきに近寄らず。自分が君子かどうかはさておき、これを信条にできるだけ『かわいい』を避けてきたというのに…なんてことだ。これまでの努力がすべて水の泡。どうしてくれる岩本照(敬称略)!!大好きだぞこのやろう!

好きなものを愛でるとき、自分がどの視点に立つかで好きの度合いが変わってくる。好きなものを『かわいい』越しに見るか、『かっこいい』越しに見るか。これって結構重要だ。あくまでわたしの場合はだけど。

『かっこいい』単体であれば大丈夫。余裕で踏み止まれる自信がある。流されることもなく、句読点つけて終了可能。『かっこいい』越しに見る『かわいい』もまだまだ平気、へっちゃらだ。かっこいい上にかわいいのねって、にっこり受け流せる場所にいる。要は『かっこいい』発『かわいい』行は途中下車が可能ってこと。

だけど、『かわいい』が先にくるってなると話は別。無理難題も甚だしい。『かわいい』単体がそもそもしんどい。言葉の意味とは裏腹に重量感が半端なくて、それだけでもう息苦しいったらない。その上『かわいい』越しに『かっこいい』を見つけようものなら、それはもう恐怖以外の何物でもないのだから困ってしまう。それはまるで破滅までノンストップで走りぬけちゃうデス・ロード。『かわいい』発『かっこいい』行に途中下車は存在しない。

『かわいい』ってこわい。ほんとこわい。こんなこわいもの、毎日せっせと摂取して、早いとこ摂取し尽くしてしまわなければ。この世が怖いで埋め尽くされてしまうじゃないか。継続は力なり。『かわいい』と向き合うのは怖いけど、これはもう仕方がないと腹をくくってやろうじゃないか。ひーくんから溢れてやまないかわいさとわたしの根性、どちらが勝つか根競べの始まりだ。

今日も帰ったらひーくんのかわいいを見つめなければと思うとほんと憂鬱、ため息までも出てしまうのだから、ほんとカワイイッテコワイ。。