うたかたの

よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

王道の破壊力

主人公みたいな人だと思った。

少年漫画ならぶっちぎりの主人公で、少女漫画なら間違いなくヒロインの相手役。どちらにしてもど真ん中。そういったポジションがどうしたって似合ってしまう、そんな人。画面に映るえらく長身の男前を観ながら、ぼんやりとそんなことを思った。これがわたしの目黒連(敬称略)に対する第一印象で、その後Snow Manを追いかける過程で垣間見る彼の人となりはそれを大いに裏付けていくことになる。かいつまんでいうと、わたしの目に映る目黒連はその容姿のみならず中身までもが丸ごと、紛れもなく主人公みたいな人だった。

ところで、わたしは主人公みたいな人が苦手だ。(注:ここでいう「主人公みたいな人」とは、往年の少年・少女漫画でいう王道と言われるであろうタイプを指すこととする。)だからといって別にめめへのアンチな発言をしたいわけじゃないので、とりあえず聞いてくれ。

わたしは日陰を好む人間だ。俗にいう「陰キャ」であり、某バラエティ番組の言葉を借りれば「こっち側」に属している人間である。加えて、相当に年季の入った今更解けようもないほどのひねくれを持ち合わせてもいる。ひねくれ倒した陰キャのわたし(←断っておくが自分を卑下しているつもりは全くなくて、むしろ快く受け入れている)にとって、主人公に身を置くタイプの人というのは何というか非常に眩しい。何が眩しいって、彼らが当たり前のように持ち合わせている(ように見える)ある種の健全さが眩しいのだ。自分に標準装備されていないそれがあまりに眩しく、時にたまらなく羨ましくもある。それ故に、直視するのが難しい。思わず目を逸らしたくなってしまう。ただ誤解してほしくないのは、苦手だからと言って、彼らを見ない理由にはならないということだ。その健全さが放つ眩いばかりの光にはどうしたって目がいってしまう。例えばそれは虫が光に集まってくる現象(走光性というらしい)に似ていて、わたしの場合は光を避けたい気持ちと光に引き寄せられてしまう二つの相反する気持ちが常に微妙な均衡を保って同居している。そのどっちつかずの気持ちに心を乱されてることもあったけど、年齢を重ねてバランスがとれるようになってきた。人って成長するものだなと思う。……うん、ちょっと待って。わたしは一体何の話をしているのか。話が逸れてしまった。何が言いたいって、要するにあれだ。苦手ではあるんだけどついつい見てしまうって、そういうことを言いたかった。ただそれだけなのに、相変わらずいちいち説明が長ったらしくてごめんなさい。そういう習性なので許してください。

 

さて、本題。毎度今更感がぬぐえない話題を持ち出して大変申し訳ないのだけれど、わたしが今回話したかったのはコレだ。

 

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亀梨和也(敬称略)のYouTubeチャンネルで5回にわたって配信された亀梨先輩と後輩めめの、この動画の感想をわたしは言いたい。先日の阿部ちゃん30歳の誕生日にも、メンバーが続々と開設するインスタ個人アカウントにも、次々に発表されるそれぞれのドラマの話にも一切触れず、敢えて今この動画にわたしは触れたい。というわけで、以下に感想を綴る。

まず言わせてほしい。二人とも主人公過ぎやしないだろうか?主人公みがえぐくないか?圧倒的主人公感を漂わせた二人が同じ画面に収まってるって一体何だ?どういう世界線?しかもそれが当然のように進んでいくって。そりゃあ彼らにとっては普通なんだろうけど。これが物語だとするなら配役含めたいろんな部分が少しずつおかしいし、ストーリーとしてもどうか思う。もっと推敲重ねた方がいいと思うし、わたしだったらそうするだろう。加えて、二人の関係性がやたらと微笑ましく映るのは、これは一体なんなのか。いや理想的か?そう言わせたくてやってますよね?え確信犯ですよね?そう激しく問い詰めたい気持ちに駆られてしまう。だってわたしは微笑ましくも理想的な先輩後輩関係で両ほほを殴られているような気さえしたのだから。亀梨先輩の先輩っぷりも、めめの後輩っぷりも、なんていうか王道の極みみたいな健全さがあって、それが画面からこれでもかと溢れてて、言ってみればこれは最早王道の暴力といっても過言ではないだろう。王道を笠に着やがってこのやろう。ただね、そんな尊い王道っぷりを覗き見させてもらえる機会をいただけたことには感謝しかない。亀梨先輩、ありがとうございました。

…というようなことを思いながら動画を見ていたものだから、頭の中がやたらと忙しく、がっつり体力を消耗してしまった。確かに「プライベート感があってファンには嬉しい」に違いないんだろう。けれど、わたしには繰り返しの視聴は困難だった。現時点で片手で足りるくらいにしか再生できていないし、残念ながら今後それが増えることも恐らくだけどないだろう。なんか色々ごめんなさい。だって、わたしにはこの溢れる健全さが、あまりにも刺激が強すぎて。あの二人を視界に入れて、その会話に耳を傾けるだけで、体力とか気力とか色んなものがすごい勢いで削られてしまう。画面に王道主人公が二人とか、なんていうか非常にカロリーが高いのだ。観てると心が胃もたれして、そのあまりの眩しさに目が焼かれてしまう気さえした。わたしが不甲斐ないばかりに本当申し訳ない。ひねくれ倒した陰キャのわたしにはついてけない次元だった。だけど、ついていきたい気持ちはあった。何よりついていける人でありたかった。やっぱり王道ってすごい。その破壊力たるや半端ない。観てるだけで疲れるとか意味不明が過ぎるけど。

ただ、今回の動画を通して、はっきりしたことが一つある。わたしは推しに憩いを求めている。推しには安らぎを与えて欲しい。わたしは推しに癒されたいのだ。確かにわたしはスノが好きだけど、好きを理由にすべてを受け入れる程の度量もそこまでの熱量も持ち合わせてなんていない。わたしのそれはあくまで軽いものであって、浅瀬でぱちゃぱちゃ楽しめればそれでいい程度の「好き」なのだ。わたしは手軽に彼らを楽しんで、気軽に彼らを応援したいだけなのだ。だけど時々受け入れがたいものにも遭遇してしまう。これはわたしにはちょっと…なものが中にはある。それを見つけると、基本無言で立ち去るようにはしてるけど、ちょっとだけ嫌な気持ちになっていた。好きだけど全部よしとできないのは、わたしの度量の狭さや熱量不足が原因だと思っていたから。だけど、これで納得した。わたしが身勝手に求めているのは癒しだから。そこからかけ離れていると、わたしには受け入れることが難しいらしい。単純にいらないものは受け取れない、それだけだった。それがわかったのは何よりの発見だった。そうか、いらないんだったら受け取れないのも頷ける。わたしの気力体力を削ってまでこの動画を観た甲斐があったというものだ。ただ散々王道に悪態をついてきた分際でこんなこと言えた義理じゃないんだけど、そんな王道がわたしは別に嫌いじゃない。嫌いじゃないが、精神衛生上、好んで近づきたいものでは決してないというだけで。

 

因みにだけど、とある出来事がきっかけで年末発売のドームの円盤を予約できずにいたわたしはもうどこにもいない。ピンクの髪のあの人を今は楽しく見ていられる。ただ一つ恨み言が許されるのならば、マイキーなさっくんをリアルタイムで心から楽しめなかったことだけが心残りだ。