うたかたの

よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

美しさの余韻

天使を見た。先日、生放送の地上波音楽番組で。

わたしの見間違いじゃなければ、あの日画面に映ったのは間違いなく天使だった。天使なんて見たこともないはずなのに、それが本物だということは割とすんなり理解した。不思議だけど、それもそのはず。だってその天使はすべてがあまりに完璧すぎた。淡く輝く金髪に透き通るような白い肌。見上げる視線の先には拳ほどの小さな顔があり、長いまつ毛に縁取られた澄んだ瞳とよく通った鼻筋が整然と配置されている。品よく上がった口角は魅惑的な笑みを湛え、長い手足を巧みにしなやかに操りながら、画面の中の天使は歌い、踊っていた。その美しさに目を奪われ、思わずため息が出る。彼がフォーカスされていない場面、たとえばそれが画面の端っこであっても、誰かの後ろで見切れていたとしても関係なかった。どうしたってその姿を目で追ってしまうのは、多分彼が天使だから。天使から目が離せないのは必然で、それ以外に理由はないし、そもそも理由なんて必要ですらない。まったく、本当にやってられない。神様のえこひいきには心底うんざりしてしまう。だけどそれ以上に、神様のセンスは流石。美しさに目が喜ぶという感覚をあの日わたしは初めて知った。

天使の名前は知っていた。もちろん彼が天使と呼ばれていることも。知ってはいたけど、彼に見惚れたのは正直あの日が初めてだった。以前も同じ髪色だったのを見たことだってもちろんある。それなのに、今まで一体わたしは何を見ていたのだろう?彼の美しさは鮮烈だった。その残像が今も脳裏にこびりつき、うまく剥がすことができずにいる。

要するに「CDTVライブ!ライブ!での金髪ラウール君がとてもじゃないが美しすぎた」という、ただそれだけの話である。とにかく美しさの余韻がすごくて、その名残がえぐい。自分の中でも既に旬を逃してしまった感があるのだけれども、旬を過ぎた自覚があってもどうしても言いたかった。それくらい「ラウール=天使」を体感した衝撃がとにかく凄まじかったのだ。今更だということは重々承知の上だし、自分の目の節穴具合に反省も禁じ得ない。けれども、事実そうなのだから仕方がない。いろいろと甘く見ていてごめんなさい。何より眼福、ありがとう。

 

王道の破壊力

主人公みたいな人だと思った。

少年漫画ならぶっちぎりの主人公で、少女漫画なら間違いなくヒロインの相手役。どちらにしてもど真ん中。そういったポジションがどうしたって似合ってしまう、そんな人。画面に映るえらく長身の男前を観ながら、ぼんやりとそんなことを思った。これがわたしの目黒連(敬称略)に対する第一印象で、その後Snow Manを追いかける過程で垣間見る彼の人となりはそれを大いに裏付けていくことになる。かいつまんでいうと、わたしの目に映る目黒連はその容姿のみならず中身までもが丸ごと、紛れもなく主人公みたいな人だった。

ところで、わたしは主人公みたいな人が苦手だ。(注:ここでいう「主人公みたいな人」とは、往年の少年・少女漫画でいう王道と言われるであろうタイプを指すこととする。)だからといって別にめめへのアンチな発言をしたいわけじゃないので、とりあえず聞いてくれ。

わたしは日陰を好む人間だ。俗にいう「陰キャ」であり、某バラエティ番組の言葉を借りれば「こっち側」に属している人間である。加えて、相当に年季の入った今更解けようもないほどのひねくれを持ち合わせてもいる。ひねくれ倒した陰キャのわたし(←断っておくが自分を卑下しているつもりは全くなくて、むしろ快く受け入れている)にとって、主人公に身を置くタイプの人というのは何というか非常に眩しい。何が眩しいって、彼らが当たり前のように持ち合わせている(ように見える)ある種の健全さが眩しいのだ。自分に標準装備されていないそれがあまりに眩しく、時にたまらなく羨ましくもある。それ故に、直視するのが難しい。思わず目を逸らしたくなってしまう。ただ誤解してほしくないのは、苦手だからと言って、彼らを見ない理由にはならないということだ。その健全さが放つ眩いばかりの光にはどうしたって目がいってしまう。例えばそれは虫が光に集まってくる現象(走光性というらしい)に似ていて、わたしの場合は光を避けたい気持ちと光に引き寄せられてしまう二つの相反する気持ちが常に微妙な均衡を保って同居している。そのどっちつかずの気持ちに心を乱されてることもあったけど、年齢を重ねてバランスがとれるようになってきた。人って成長するものだなと思う。……うん、ちょっと待って。わたしは一体何の話をしているのか。話が逸れてしまった。何が言いたいって、要するにあれだ。苦手ではあるんだけどついつい見てしまうって、そういうことを言いたかった。ただそれだけなのに、相変わらずいちいち説明が長ったらしくてごめんなさい。そういう習性なので許してください。

 

さて、本題。毎度今更感がぬぐえない話題を持ち出して大変申し訳ないのだけれど、わたしが今回話したかったのはコレだ。

 

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亀梨和也(敬称略)のYouTubeチャンネルで5回にわたって配信された亀梨先輩と後輩めめの、この動画の感想をわたしは言いたい。先日の阿部ちゃん30歳の誕生日にも、メンバーが続々と開設するインスタ個人アカウントにも、次々に発表されるそれぞれのドラマの話にも一切触れず、敢えて今この動画にわたしは触れたい。というわけで、以下に感想を綴る。

まず言わせてほしい。二人とも主人公過ぎやしないだろうか?主人公みがえぐくないか?圧倒的主人公感を漂わせた二人が同じ画面に収まってるって一体何だ?どういう世界線?しかもそれが当然のように進んでいくって。そりゃあ彼らにとっては普通なんだろうけど。これが物語だとするなら配役含めたいろんな部分が少しずつおかしいし、ストーリーとしてもどうか思う。もっと推敲重ねた方がいいと思うし、わたしだったらそうするだろう。加えて、二人の関係性がやたらと微笑ましく映るのは、これは一体なんなのか。いや理想的か?そう言わせたくてやってますよね?え確信犯ですよね?そう激しく問い詰めたい気持ちに駆られてしまう。だってわたしは微笑ましくも理想的な先輩後輩関係で両ほほを殴られているような気さえしたのだから。亀梨先輩の先輩っぷりも、めめの後輩っぷりも、なんていうか王道の極みみたいな健全さがあって、それが画面からこれでもかと溢れてて、言ってみればこれは最早王道の暴力といっても過言ではないだろう。王道を笠に着やがってこのやろう。ただね、そんな尊い王道っぷりを覗き見させてもらえる機会をいただけたことには感謝しかない。亀梨先輩、ありがとうございました。

…というようなことを思いながら動画を見ていたものだから、頭の中がやたらと忙しく、がっつり体力を消耗してしまった。確かに「プライベート感があってファンには嬉しい」に違いないんだろう。けれど、わたしには繰り返しの視聴は困難だった。現時点で片手で足りるくらいにしか再生できていないし、残念ながら今後それが増えることも恐らくだけどないだろう。なんか色々ごめんなさい。だって、わたしにはこの溢れる健全さが、あまりにも刺激が強すぎて。あの二人を視界に入れて、その会話に耳を傾けるだけで、体力とか気力とか色んなものがすごい勢いで削られてしまう。画面に王道主人公が二人とか、なんていうか非常にカロリーが高いのだ。観てると心が胃もたれして、そのあまりの眩しさに目が焼かれてしまう気さえした。わたしが不甲斐ないばかりに本当申し訳ない。ひねくれ倒した陰キャのわたしにはついてけない次元だった。だけど、ついていきたい気持ちはあった。何よりついていける人でありたかった。やっぱり王道ってすごい。その破壊力たるや半端ない。観てるだけで疲れるとか意味不明が過ぎるけど。

ただ、今回の動画を通して、はっきりしたことが一つある。わたしは推しに憩いを求めている。推しには安らぎを与えて欲しい。わたしは推しに癒されたいのだ。確かにわたしはスノが好きだけど、好きを理由にすべてを受け入れる程の度量もそこまでの熱量も持ち合わせてなんていない。わたしのそれはあくまで軽いものであって、浅瀬でぱちゃぱちゃ楽しめればそれでいい程度の「好き」なのだ。わたしは手軽に彼らを楽しんで、気軽に彼らを応援したいだけなのだ。だけど時々受け入れがたいものにも遭遇してしまう。これはわたしにはちょっと…なものが中にはある。それを見つけると、基本無言で立ち去るようにはしてるけど、ちょっとだけ嫌な気持ちになっていた。好きだけど全部よしとできないのは、わたしの度量の狭さや熱量不足が原因だと思っていたから。だけど、これで納得した。わたしが身勝手に求めているのは癒しだから。そこからかけ離れていると、わたしには受け入れることが難しいらしい。単純にいらないものは受け取れない、それだけだった。それがわかったのは何よりの発見だった。そうか、いらないんだったら受け取れないのも頷ける。わたしの気力体力を削ってまでこの動画を観た甲斐があったというものだ。ただ散々王道に悪態をついてきた分際でこんなこと言えた義理じゃないんだけど、そんな王道がわたしは別に嫌いじゃない。嫌いじゃないが、精神衛生上、好んで近づきたいものでは決してないというだけで。

 

因みにだけど、とある出来事がきっかけで年末発売のドームの円盤を予約できずにいたわたしはもうどこにもいない。ピンクの髪のあの人を今は楽しく見ていられる。ただ一つ恨み言が許されるのならば、マイキーなさっくんをリアルタイムで心から楽しめなかったことだけが心残りだ。

 

 

わたしにとってそれは

推しが燃えた。

生配信中のトラブルが原因らしい。詳細はネットニュースで知った。始業前に開いた某検索サイトで「佐久間大介」の文字が躍る見出しに目が留まった。このとき、わたしはまだ何ひとつ知らなかった。クリックしたその先で、自分の推しが燃えてることを。雨が降っていた。随分と薄暗い朝だった。

この書き出しで始まる作品をわたしはまだ読んでいない。興味がないわけではなかった。けれど、当時は特別惹かれもしなかった。まあそのうち気が向いたら。そんな軽い気持ちで読むのを見送った。それを今、後悔している。こんなことなら、さっさと読んでいればよかった。読み物として、エンタメとして、何より他人事として楽しめるうちに、読んでしまえばよかったのだ。推しが燃える。それが自分事になってしまう、その前に。

これまでそれは完全に対岸の火事だった。様々な場所で様々な理由から、時折起こるその手の火は遠くからでもよく見える。炎の揺らぎには心を落ち着かせる効果があるなんて聞くけれど、もちろんそれはリアルな炎の話であって、この手の炎はその真逆。燃え盛る炎はいつしか悪意の塊に成り下がり、絶え間なく怒りや不安を煽ってくる。赤々とした炎はいつだって進んで近づきたい代物では決してない。その中心にいるのが自分の好きなものであれば、尚更。

わたしはこの手の騒ぎが苦手だ。炎上を前にすると気分が沈む。目を逸らしても見えてしまうものが、耳を塞いでも聞こえてくる声が、心の免疫力を低下させる。だから、極力そういったものからは距離をとり、触れないように避けてきた。時折ばったり遭遇することがあったとしても、見ざる聞かざる言わざるでガードは鉄壁。そう、鉄壁のはずだった。今回、ファンの立場で初めて推しの炎上に立ち会うことになるまでは。いつもはうまくできることが、今回はなぜだか上手にできなかった。目の前で真っ赤に燃えるその火から、目を離すことができなかった。

 

と、相変わらず前置きが長いのだけど、今回書きたいことはこの騒動云々についてではない。ただ、この騒動はわたし自身のファンとしての在り方を明確にしてくれた。在り方っていうのは少し大げさかもしれない。なんていうか、わたしにとって推しとは?の定義がはっきりしたという方がしっくりくる。わたしはそれに結構満足していて、だから今回はその話をしたいのだ。それなのに、調子に乗って長々と書いてしまったものだから、なんというかもう色々と満足してしまった。久々にブログを書いてる高揚感も相まって、本題に到達してないのに達成感さえ感じている。というか、正直もうなんかこれ以上グダグダ書くのが面倒くさくなってきたというのもある。だけど、始めてしまったのだから終わらせねばなるまい。無駄で不要な責任感が顔を出す。だから、まあアレだ。言いたいことは手短に、さっさと話を終わらせてしまおう。

因みにこの件に関して、わたしには思うところが特にない。悲しいかな、この事態をやけに冷静に傍観している自分がいる。いや、全く何も思わないといったら噓になるけど、わざわざお気持ちを表明するのも憚られるし。ただ一つ、その火に向かって投げられる言葉の数々がわたしをひどく不快にさせた。まあそれは目を逸らさなかった自分が悪い。けれど正直な話、ご本人に対してはアイドルって職業の大変さへの同情が大部分を占めていて、できることなら彼の肩にそっと静かに手を置いて、視線で労いたい気持ちでいっぱいなのだ。まあ脇が甘いと思わなくもなかったけれど。でも人間だしとも思ったり。なんだかファンを名乗ることが申し訳なくなってしまう程に、わたしはこの事態をただ静観しているだけだった。

さて、本題。わたしにとって推しは嗜好品である。この度それがはっきりと定義付けされた。おめでとう、そしてありがとう。嗜好品なので、過度な摂取は健康を損なう恐れがある。わたしは一度好きになると、飽きるまでそればかり摂取してしまう傾向があるので十分に注意が必要だ。自分にとっての適量を自分が楽しいと思える範囲で、つまり自分を害さない程度に摂取するのが大切だ。それが嗜好品と付き合っていく上では重要である。以上、解散!

 

推しの定義が明確になったにもかかわらず、あの火を見過ぎた代償なのか、あんなにも鮮やかだったピンクがどこかくすんで見えてしまう。最近は佐久間さんを観ていても前みたいに楽しくないし、嬉しくない。発売が決定したドームツアーの円盤を予約することすらできずにいる。今はそれが少し寂しい。

 

カワイイッテコワイ②

”『可愛い』は最強なんです。

『かっこいい』の場合かっこ悪いところを見ると幻滅するかもしれない。

でも『可愛い』の場合は何をしても可愛い、『可愛い』の前では服従、全面降伏なんです!”

 

このセリフが今、またしてもわたしの脳内でこだましている。…さっくんの後頭部と共に。

 

今回と関連性は全くないけど前回のお話はこちら。

utsusemii.hatenablog.com

 

どうしよう、さっくんがこわい。その存在がかわいすぎて最早こわい。

ピンク髪を結わえたその人が視界に入るその度に、わたしの時間は平気で流れを止めてしまう。ぴょこぴょこと絶えず跳ねるピンクからはどうしたって目が離せなくて、必然的に手が止まる。かろうじてまだ息はしているから、時が止まるというのは言い過ぎなのかもしれない。それでも、さも当然と言わんばかりのこの現状にわたしが大変困っているのは事実である。そのかわいらしさはわたしの思考を奪い去るには十分で、鮮やかなピンクが似合うその人は毎回わたしの心臓を握りつぶさんばかりの強さでもって鷲掴みにしてくるのだから、こちらからするともうたまったもんじゃない。君は力加減バカ男の弟子か?鷲掴みにする強さにだって限度があるということをお願いだから知ってくれ。

最近、さっくんがかわいく見えて仕方がない。わたしには阿部ちゃんという心に決めた人がいるはずなのに。阿部ちゃんの涼やかな優しさでこの猛暑を何とか乗り切ろうと心密かに決意してたにもかかわらず。そんな心のオアシス阿部ちゃんを遮らんと立ちはだかるさっくんで、ここのところわたしの視界はいっぱいになっているのである。さっくん越しの阿部ちゃんが果てしなく遠い。なんだ佐久間、どうした佐久間、そこをどいてくれ佐久間!最近『かわいい』の限度を軽く超えてくるのは一体全体なんなのか?濃い目の『かわいい』を注文してなんかいないのに。どういうつもりで『かわいい』を全方位にまんべんなく振りまいていらっしゃるのか、詳細且つ簡潔に説明してはくれないだろうか?あなたの『かわいい』は決して他担狩りに使う代物ではないはずだ。だってあなたはキレッキレのダンスで、その華麗なるアクロバットで狩りをする人のはずでしょう?それと『かわいい』のギャップでもって、狩りを成功させるのが本来のあなたではないのか?こんな『かわいい』に全振りしてる状態でも有能なハンターだなんて、そんなのわたし聞いてない。話が全然違うじゃないか。

確かに、前からあなたはとてもかわいかった。わたしの目にもきちんとかわいく映っていた。そのはずなんだけれど、それでも最近の佐久間のそれは最早常軌を逸している。わかるかな?最近のあなたは不用意に『かわいい』を垂れ流し過ぎている。重ねて言うが、何においても限度があると言うことをお願いだから知ってくれ。

最近のさっくんが特にかわいく見えるのは多分きっと気のせいなんかじゃないはずで、至極まっとうな感覚とそれなりの視力を有したスノ担であれば深く頷いてくれるはずだと信じている。最近のさっくんが当社比何割増しかの計算も追いつかぬ勢いで、そのかわいらしさを表すのに『かわいい』なんて一言じゃ到底足りやしないくらい、極めて『かわいい』と見受けられるその事実に。

どうしよう、このままではわたしの『かわいい』の基準が佐久間大介(今更だけど敬称略)になってしまう。果たして佐久間を基準に置くのは正解なのか、どうなのか。…連日の猛暑からくる疲労も相まって、自分の判断力にまったくもって自信がない。

最近のさっくんの『かわいい』の大部分は主にその後頭部から放たれているのではないか、とわたしは考える。あくまで超個人的な見解だけれども。だってだってだって、一体なんだ?どういうつもりだ、その愛でろと言わんばかりのいとらうたき後頭部は!!結んだ髪のピンクと地毛の黒、そのコントラストだけでも十二分に愛おしいにもかかわらず、加えて刈り上げてらっしゃる部分がなんというか非常によい。どこがどのようによいのか、わたし自身もうまく言葉にはできないけれど、そんなよくわかんないところも含めて非常によろしいのである。点数をつけるならば花丸付きの100点満点を差し上げたいくらいによい。ああ、なんと素晴らしき後頭部!なんと愛らしき艶やかなるそのピンク!!

…失礼、少し声を荒らげてしまった。安心してください、わたしは正常です。 

『かわいい』ってこわい。ほんとこわい。自分でも知らなかった癖(へき)を勝手に掘り当ててくるとかマジ恐怖。『かわいい』の嗅覚えげつない。こんなこわいものと今後どう付き合っていけばいいのか、どのように向き合っていくべきなのか、皆目見当もつかない。暑いし考えるのだってだるいし。そもそも佐久間の後頭部がかわいいのが悪い。そう全部まるっと佐久間(の後頭部)のせいだ。なんなんだ佐久間、後頭部も含めて大好きだこのやろう。

とにかく、もういい。わかったから。わたしはもう十分過ぎる程に『かわいい』の恐怖を味わった。味わわせていただいた。だからお願いSnow Man、いい加減そろそろわたしをこの『かわいい』から解放してはくれないか?

全部夏のせい

最近どうにも調子が出ない。

多分それは暑いから。毎日毎日飽きもせず、うるさいくらいに暑いからだ。うだるような暑さは四六時中まとわりついて離れてなんてくれないし、湿気と熱気をギュギュっと閉じ込めた空気の中じゃ息するのだってうんざりする。その上、朝起きた瞬間から日差しが既に暑いというか痛いんだから、これは一体何の罰ゲームなのか…もういい加減にしてほしい。この暑さ、誰でもいいから誰か何とかしてくれないか。こんなとき何とかしてくれる人って誰?誰に頼ればいいんだろう?…いやダメだ、頭が回らない。もう無理、何も考えたくない。考えることがまずだるい。というか、「暑い」以外の思考が入ることをそもそもこの暑さが許してくれないって、何この状況?ほんとどうかしちゃってる。もうわたしに一体どうしろと?どうして欲しいと言うのだろう?わからない。わかるのは毎日暑い、ただそれだけ。もう今はそれしかないし、それ以外考えられない。わたしの毎日はこの暑さに支配されてしまっている。毎日暑い。とにかく暑い。暑い暑い暑い。

なんでこうも毎日暑いのか?…ああそうか、夏だ。夏のせいだ。暑くてイライラしちゃうのも、だるくて食欲が出ないのにジャンクフードだけにはなぜだか胃を許してしまうのも、夏のせいに違いない。冷たいものばかり摂取して身体がなんだか冷えるのも、そのせいなのかやたらと脚がむくむのだって、全部ぜーんぶが夏のせいだ。

夏め、そうかお前か。お前が犯人だったとは。

道理でおかしいと思っていた。何かが違うと感じていたんだ。暑さに比例するように、日増しに大きくなってくわたしの中の不具合というかぬぐい切れない違和感の正体も、それも全部が夏、お前のせいだったというわけか。

彼らを見る度に自然と緩んでいたはずの頬をいつからか意識して上げるようになってしまったのも。毎日溢れんばかりだったときめきを目を凝らして探すようになってしまったのも。彼らが輝いて見えちゃう特別仕様のフィルターがなぜだか最近曇りがちになってるのも。あれもそれもこれも全部ひっくるめて、すべては夏、お前のせいだ。

ああ何たる不覚。これはもう完全に夏を見くびっていたわたしの落ち度だ。反省しよう、そうしよう。確かに個人的に夏休みと縁遠くなってからというもの、わたしはお前に冷たい態度をとっていたかもしれない。そりゃでも仕方がないことだろう?わたしの態度が悪かったなら謝る。夏よ、ごめん。冷たくして。だってお前はいつだってうっとおしいくらいに暑いから。それでも歓迎こそしなかったが、これまで毎年迎えいれてやったじゃないか。でも、そうだよな。嫌な態度をとったわたしが悪い。100%悪い。人として礼儀を欠いていたと反省する。これからはなるべく態度に出さないように努めるから。社会で培ってきた外面をお前の前でも被ろうじゃないか。うんうん、そうだな、親しき中にも礼儀ありだ。わたしとお前の仲だから許されるだろうとか、わたしが甘かった。お前が何も言わないからって、その優しさに甘えていた。ほんとすまない。申し訳なかった。

…さて、これで一通りの謝罪を終えたってことでそろそろ話を戻していいだろうか?あのさ、夏よ。でもさ、いくらわたしの態度が悪かったからって、これはないんじゃないか?もう何十年来の付き合いである季節に、毎年少しずつ尺長めになってきてる昔馴染みのお前に、まさかこの年齢になって強めの一撃を食らうとは。思ってもみなかった。考えもしなかった。くそう、夏め。謀ったな?

まあ、夏への文句はこれくらいにしといてやろう。まだまだ言いたいことはあるけれども。

とにかく、今はまだ結論を出すには早すぎる。わたし自身もまだはっきりと自覚するには至っていない。まだこれはあくまで初期症状の段階で、ここからV字回復する見込みだってあるはずだ。だから、この件については、とりあえず一旦保留が望ましいと考える。変につついて、藪蛇になってはたまらない。わたしはまだまだこのカラフルな9色の雪原に留まっていたいのだ。お願いだから、まだここにいさせてほしい。世知辛い現実をそれなりにせっせと歩むわたしにだってそれくらいのご褒美があってもいいだろう?そうだそうだ、ご褒美大事。心のオアシスは生きてく上ではとっても大事。この暑さで心までもが熱中症になってはたまったもんじゃない。ただ、今はちょっと暑くて思考がうまく働かない。それを言い訳にして、この件は一旦先送りということでどうかひとつ。もうちょっと、せめてこの暑さが消えるまで、涼しくなるまで結論を出すのは待ってくれ。だってもしかしたらもしかするかもしれないし。単なる思い過ごしかもしれないし。スノへの気持ちが少しずつしぼんでいってる気がするのは、ただ単に暑さで生じたバグのせいかもしれないわけで。すべてはこの図々しいまでの猛暑がなせる業、多分きっとそうだ。いや、そうに違いない。むしろそういうことにしちゃったっていいはずだ。だって毎日こんなに暑いんだから。わたしは毎日この暑さに付き合ってやってあげてるのだから。夏だってちょっとくらいの責任転嫁を許してくれたっていいでしょう?だってわたしと夏との仲だもの。夏にはあとできちんと頭を下げる。誠心誠意謝るから。

だから、とりあえず今は全部夏のせいにしてしまおう。今はそれでいい。いや、それがいい。

 

この限りではない

好きって気持ちは厄介だ。

ある日突然心の中に土足でずかずか入ってきて、戸惑うこちらを押しのけて我が物顔で居座ったり。なかなか出て行ってくれないくせに、前触れもなくぽっかりと穴だけ残して消えちゃったり。その上、それまで苦手としていたアレコレに容易く例外を作っちゃったりなんかするのだから。ほんと扱いにくくて困ってしまう。

 

そもそもわたしは優しい人が苦手だ。いきなり何の話だと思うかもだが、順を追って説明する(多分できるはずだ)から、とりあえず聞いてくれ。

誰かの優しさに触れる度、それがどんなに微笑ましい光景であっても、わたし自身が嬉しかったり感謝したりしたとしても、ついつい頭の片隅を過ってしまう。「胡散臭い」の一言が。これはもう条件反射みたいなもので、残念ながらやめられないし止まらない。わたしが自他ともに認める非常にひねくれた人間である、というのがその理由の一つになるのかどうかはわからないけど、どうやらわたしには「優しい」を「怪しい」に自動変換してしまう機能が標準装備されてるらしい。「人を見たら泥棒と思え」じゃないが、「優しい人を見たらその優しさの裏側にある真意を見抜け」と、不要な上に一方通行で不毛な心理戦を無駄に繰り広げてしまうのだ。本人からすると生きづらいったらないんだけれど、この機能は24時間年中無休で提供されちゃう仕組みなので諦めるほかない。そりゃあね、わたしだってわかってはいる。それなりに短くはない年数を生きてきて、一応理解はしているつもりである。この世の中には「息をするように優しさを差し出す人間が存在する」ということを。実際、こちらが心配になるくらい誰に対しても優しいという人がいたりする。わたしからすると、いやなんで?と疑問ばかりが先行して、その優しさを額面通りに受け取ることが難しい。ない腹をどうしたって探ってしまう。何か目的があっての優しさだったら、素直に認めることができるのに。その優しさの裏が見えないと途端に不安になってしまうのだ。

長くなってしまったが、つまりはこうだ。わたしは優しい人に対して自然と苦手意識を持ってしまう人間なのである。(一言で済ませられるのにいちいち説明が長ったらしくてごめんなさい。)

そんなわたしはスノメンバーのとある方に対して一方的に苦手意識を持っていた。ジャニーズ随一のあざとさを誇ると噂の阿部亮平(敬称略)、その人に。

阿部亮平という人を一言で表すとしたら?その答えは様々だろうけど、「優しい」だったり「賢い」だったり「あざと(かわい)い」なんかが恐らく上位にくるのだろう。ご多分に漏れず、わたしもきっとこう答える。彼を一言で言うならば「優しい」かなと。

だから、だ。優しさが透けて見えちゃってるから。目を逸らせないくらいど真ん中に「主成分:優しさ」とでっかく表示されてしまっているから。だから、わたしは阿部亮平が苦手だった。優しいがあふれ出てる様が否応なしに絶えずわたしの苦手を刺激する。阿部担を一網打尽にするであろうその優しさ溢れる笑みなんか、わたしなんぞが直視するには眩しすぎる。自分の差し出す優しさがいつも理由ありきであることが必要以上に後ろめたくも感じてしまう。いやそんなこと思う必要なんか全然ないし、もう完全に自分の問題であるのだけれど。ただここで誤解してほしくないのは、嫌いとかそういった類の話じゃまったくないということだ。例えるなら、「ピーマンは苦手だけど大好きなチンジャオロースに入ってれば食べられる、というかチンジャオロースのピーマンは苦手というよりむしろ好き」みたいなことなのだ。…いやこの例えが合ってるのか、ましてやこれでわたしの気持ちがほんの少しでも伝わるのかもわかんないけど。(余談だが、わたしはピーマンが苦手ではなくむしろ好きだし、チンジャオロースへの好きレベルは中程度である。)

 

阿部亮平は苦手だけどSnow Manの中にいる阿部ちゃんは好き。Snow Manというごった煮(←褒めてる)の中で優しさっていうスパイスになってる阿部ちゃんが好き。そんな認識で過ごしていたわたしにある日転機が訪れる。これだ。

 

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動画が終わるころにはもう阿部ちゃんを好きになってる自分がいた。阿部ちゃん単体で好きになってた。Snow Manなんて枠ありきで阿部ちゃんを見ていたわたしはもうそこにはいなかった。いやなんで?どこで?どうして?この動画の阿部ちゃんになぜそこまで惹きつけられてしまったのか、わたし自身もまったくわからないまま、今日に至る。

直視できなかったはずの優しい笑みからはもう目をそらすことの方が難しく、その声音に至っては耳を塞ぐことなど出来るはずもない。そもそも、阿部ちゃんにはわたしが好きになる要素があり過ぎる。そう、あり過ぎるのだ。(大事なことなので2回言う。本当はもっと言いたいけれどしつこいかもだから我慢する。)正直に言おう。スノが箱ごと大好きで序列をつけるなんておこがましいにも程があり避けて通りたいのは山々であるけれども、それは一旦置いといて敢えて言う。敢えて好きなタイプとして(←ここ重要)メンバーを挙げるとするならば、わたしがメンバーの中で最も好きなタイプ、それは阿部ちゃんだ。さっきまで「優しい人は苦手」とか嘯いていたのは誰だ?…わたしだ。それは紛れもなくわたしです土下座しますゴメンナサイ。訳も分からず阿部ちゃん限定で優しさへの苦手意識が解けた途端にこのざまだ。なんてことだ。要所要所で的確にわたしのツボをついてくる阿部ちゃん、やはりあなたは仕事ができる。そんなところももれなく好きだ。大好きだ。どこらへんがタイプでどんな風に好きかなんて具体的で細かい話は長くなる上にここまで書いておいて今さらだけど非常に恥ずかしいので割愛させていただくが、ふたを開けてみればこの体たらく。なんてざま。

…いやほんと何コレ、なんなんだもう!わたしは今怒っている。ちょっとだけだけど、怒ってますよ?なんで怒ってるかわかります?あ、これ嫌な詰められ方だったりするかしら?いやそんなんもうどうだっていいんだ、だってこっちは怒ってるんだ!なんていうかさあ、Snow Man全員にもれなく言えることなんだけど、こちらが油断してる隙を見計らってだか何だか知らないけど、断りもなく心に土足で入ってくるのとかそういうの?アイドルだからって許されるとか思うなよ?せめて「お邪魔します」とか一言挨拶あってもよくない?とかわたしは思ってしまうわけ。そういう礼節っていうか礼儀っていうか、そういった類のことが気になってしまう性分なのよ。だからせめて挨拶なしで来るのであれば、例えばそう、遠慮がちに入って来るとか態度で示すとかできるでしょ?こっちだって心の準備とか諸々のお迎え態勢が整ってないと困るわけ。何事も受け入れ準備は必要だし、今後に備えてお金なんかも必要だったりするでしょう?あなた方を見ていると、次から次へと現れる刺客がちょっと多すぎる!できれば極力パワー抑え気味でお願いしたいし、お一人様ずつゆっくりと様子見て入ってきてもらうこととかできたりしません?9人全員迎えるにはわたしの心は狭すぎるのでね?いや入室を許してしまったわたしの責任ってのもわかるけども。だけどなんか納得いかない。なんか納得いかないんだよなあ。…いやなんだこれ。なんだほんと。結局わたしは何を言いたいのか、それすらわかんなくなってきたじゃないか。あーやだやだ、好きってほんと厄介だ。

 

ともかく、この日を境に、わたしの中にある一文が書き加えられた。

わたしは優しい人が苦手だ。ただし、阿部亮平についてはこの限りでない。

 

本日円盤フラゲ日と明日の佐久間さんお誕生日を寿ぎ、しばらくは阿部ちゃんに観念して過ごすこととします。

世界は妄想にあふれてた

春が溶けた。

口に含んだ瞬間に甘さだけ残して消える綿菓子みたいに、音もたてずにあっけなく、今年の春は溶けて消えた。戸惑うわたしを置きざりに、いつの間にか季節は夏へと変わっていた。

…2023年わたしの春は一体どこへ消えたのか?

ここに書き記すのはわたしの春が消えた経緯とその顛末である。最初に申し上げておくが、わたしは今自分の為だけにこれを書いている。初っ端から言い訳じみていて大変申し訳ないのだけれど、あくまで自分の為に書くものなのなので、支離滅裂で感情的になってしまう部分もあるかもしれないが、どうかご容赦いただきたい。

さて、話を戻そう。

4月中旬、わたしは妄想に溺れていた。…待て待て違う。いや大筋では違わないんだけど、これだけだと大分語弊がある気がする。なんていうか圧倒的に言葉が足りない。その自覚が大いにある。違う違うそうじゃないんだ。

わたしが言いたいのは、『SNSで紡がれる妄想沼に足を取られていた』ということである。そして、そこからなかなか抜け出すことができなかった。もっと言えば、その抜け出せなさにほとほと困り果ててもいた。それもまあ当然と言えば当然だ。だってわたしにとってこの事態は正に青天の霹靂で、まさか自分が妄想沼に溺れる日がくるなんて夢にも思わなかったのだから。そればかりか、妄想を自給自足し暮らしてるムラの存在すら知らなかったのだけど。

きっかけはSNSで何気なくタップしたとある投稿、それがすべての始まりだった。

https://www.instagram.com/snow_meals/

 

現代における推しごとの最初の一歩は「検索」、これに尽きるだろう。スノ担を自覚し自称したわたしが最初に取り掛かったのもまた例にもれず「検索」という名の情報収集であった。現代の引き寄せ呪文は「アクシオ」と唱えることすら必要としない。ただ検索ワードをひとつ打ち込むだけで事足りてしまうのだから。

Snow Man、その7文字で引き寄せられる情報は公式だけではもちろんなくて、関連・類似・おすすめと色とりどりの有象無象が一緒くた、芋づる式かつ雪崩のように喜び勇んで押し寄せる。情報の取捨選択に関してはある程度の経験を積んできたつもりだけれど、自分にとっての要否や快不快を瞬時に嗅ぎ分けるなんていつまで経っても至難の業で、不用意に目にした情報が自分にとってかなりの殺傷能力を有しているなんてこともしばしばだ。それでも推しごとの一環として検索せずにはいられないのがファンの性なのだから、これはもう受け入れざるを得ない。呪文を唱える代償とまではいかないけれど、引き寄せられるのが自分が求めるものだけとは限らないのであれば、検索においての自衛は必要不可欠が当たり前。押し寄せてくる雑多で不確かな情報に惑わされて踊らされてばかりいては身が持たない。情報を得るときは、できるだけ細心の注意を払う必要がある。少しでも危険を察知したら速やかにそこから離れるとか、知り過ぎないことも大事とか、基本的な安全対策に止まるけれど。何にせよ、出来心での深掘りや不用意な探索がわが身を滅ぼす原因になることだってあり得るのだから、情報量も供給のスピードも加速の一途をたどる現代において、ある程度の警戒心はきっとなんぼあっても足りないくらいだ。

そんな常に警戒を怠らないわたしではあるけれど、さりとて人間。その警戒心がふっと緩むことだってもちろんある。結果として、その気の緩みがまだ見ぬ世界へわたしを誘うことになったのだった。

自分の無知をさらすようで非常に恥ずかしいのだけれど、わたしはその、なんていうかそういった妄想アカが咲き乱れる世界というか界隈にお近づきになる機会がこれまでまったくなかった。そういう文化の存在を知ってはいたけど、知っているのと目の当たりにするのって多分だけど全然違う。河童を知ってるのと、河童が目の前横切るのとでは全くもって違うみたいに。

とにかく、突如として目の前に現れた世界は何とも色鮮やか(イメージは蜷川実花の世界観)でとてつもなく異質で異様。わたしからすれば、異彩を放つとかのレベルを超えて、もはや異世界そのもので、お初にお目にかかった衝撃足るやもう。そんな世界がすぐそばにあったことをわたしは微塵も知らなかったし、それまで見えてすらいなかった。人は見たいものしか見ないというけど、ほんとそれなを実感した。

それにしても、すごい世界があるものだ。界隈における暗黙のルールだったりを知った今となっては受け入れ態勢が整ったが、当初は全く理解が追い付かなかった。実在の人物(しかも推し)を使って自分の妄想を自分好みに組み立てて、それを世界に発信するってナニユエ?と。疑問符まみれのまま、数多の作品に触れるうち、違う意味でその世界のすごさを目の当たりにすることになる。

妄想界隈、文才ある人い過ぎじゃね?問題の爆誕である。

ファンであるがゆえに様々な媒体から摂取し知り得た推しの人物像という共通認識。そんな強みも確かにあるんだろうけれど、それ以上に表現力やら構成力やらの巧みさを兼ね備えた書き手さんらがわんさかおられる。そらもう掃いて捨てる程いらっしゃる。人によって好みはあれど、右を見ても左を見ても全方位まんべんなく読み物としてまず間違いないものばかりがそこかしこにお行儀よく陳列されているのである。

えナニコレ?皆さま揃って商業的に「書く」を生業にされてる方々なのかしら?それとも趣味の範囲でこのレベル?これが書き手における普通とか?てかレベルすごくね?高過ぎじゃね?玄人みがえげつない方々がそこかしこでご自身のだったりリクエストだったりを散りばめた色とりどりの妄想をこれでもかとばかりに垂れ流しているとか、ここはどこなの?どんな世界??

突然だけど、わたしは「読む」という行為を愛している。叶うことならずっと何かを読んでいたい。そして、それが自分好みであればある程に食指が絶えず刺激され、その欲望は止まることを知らない。場合によっては下卑た笑いさえもれてしまう。つまり一言でいうと、たまんねぇのである。読むこと、それすなわち生きること。いやそんな言葉じゃ全くもって足りない。だけどピッタリくる言葉が悲しいかな見つからない。とにかくそんなわたしにとって、この界隈は「鴨が葱を背負って先が見えないほどの大行列を成している世界」であったのだ。しかも葱背負いの鴨たちは毎日絶えずに供給されるときたもんだから、笑いが止まらない。この世界最高か?とか思っちゃうのである。いや世界ってマジで広い。すげえわほんと。

春は出会いの季節なんて言うけれど、些細な出会いが人生を思いもよらない方向へ導くとはよく言ったものだ。こうして、書き手と呼ばれる方々の素晴らしく逞しい妄想力溢れる沼との出会いが2023年わたしの春を奪っていったのだった。

想定外の春が過ぎ、迎えた夏。とりあえずは来週発売の円盤を糧にこの夏を乗り切ろう。というか、夏こそ溶けていただきたい。一瞬で過ぎ去ってくれてもお前だったら許してやる。だからお願い、夏よ溶けろ。